一人ひとりを活かすことにフォーカスする
今回のイクボスインタビューに登場するのは株式会社スマートデザインアソシエーション代表取締役の須賀大介さん。
「仕事とくらしを創りだす人材が、1,000人福岡に移住したらどうなる?」
須賀さん率いるチームが展開するのは、その名も「福岡移住計画」。
20年近い東京での活動に限界を感じた須賀さんが日本全国を移住先として検討した結果、最も可能性を感じたのが福岡だったとか。人×人、人×企業を結びつける様々なプロジェクトを生み出す活動が話題となり、福岡の可能性を世界に発信しています。
IT企業の競争が激化するなか、受託企業が陥るオーバーワークのスパイラルに巻き込まれていた東京時代。そこから福岡へ移住するに至った経緯を伺うなかで、須賀さん自身にイクボスとしての大きな学びがあったことを知ることができました。
毎晩深夜まで働いた東京時代、
子どもの寝顔しか見られなかった
―同社の創業当時のことを教えてください。須賀:スマートデザインアソシエーションは14年前、東京で私が1人で創業しました。若くて人脈も資金もない人間がうまくいくはずがない、と周囲が反対するなか念願の起業を果たしたものの、何も分からない状態からスタートしたので全部が手探りでした。
それでもちょうどIT企業の成長の波に乗る形で売り上げを伸ばすことができました。創業から約10年で最終的にはスタッフの数も35名くらいまで増えました。
しかし、人件費などの固定費は増加する一方で受託企業の競争は激化していて、仕事を断ったりセーブしたりする選択肢はありませんでした。固定費はかさむけど値上げもできず、負のスパイラルに陥る状況、まさに自転車操業でした。社員全員で深夜まで働いて、なんとかやっていたという感じでしたね。
―そういった状況を変えることができたきっかけは何ですか?
須賀:東日本大震災です。その時、私は地下鉄に乗っていました。地下鉄が止まって地上に上がったら第2波が来て、東京のビルがコンニャクみたいに揺れていて。いつ来るか分からない余震に怯える生活が2、3ヶ月は続きました。靴を履いてヘルメットを横に置き、子どもを抱えて寝たりして。本当に恐怖でした。
そんな中、「本当に大事なもの」は何かという問いを与えられた感じがしました。元々プロジェクト型で仲間と一緒に自分たちの能力を活かしながら仕事を作っていこうという想いがあったのに、10年かけて作り上げた会社で働く社員が、毎日みんな死んだような顔でコンピュータに向かっている。結婚して、子どももいる社員が増えているなかで、今のままのやり方をしていたら絶対に持続性がないと痛感し、「変えよう」、と決心しました。
まずは自分の家族。
そこを大事にできなかったら、社員や会社を大事にできない。
―「本当に大事なもの」は何だと?須賀:その問いを自分に突き詰めていきました。経営者として社員と会社が大事、というのはもちろんなんですけど…それに呪縛されているような感じがして…根っこがないな、軸がないなという気がしてきたんです。そしてもう一回原点に戻って、まずは自分の足元、家族を一番に考えたいな、と。
そこを大事にできなかったら、結局、社員や会社を大事にしていくこと、強くしていくことは絶対にできないことに気づきました。
その頃から、家族やプライベートの話も社員とするようになっていきました。それまで全く行っていなかった旅行にも必ず行くようにして。それから徐々に、東京だけでなく、沖縄や北海道など、遠隔地で働くスタイルが始まっていきました。元々、ネットワーク型で仕事を取っていこうというコンセプトの会社なので、遠隔地でも仕事をしたりコミュニケーションを取ったりすることは技術的には問題ありませんでした。
―震災後、須賀さんご自身が「変えよう」と決心したことは何ですか?
須賀:森のような会社を作りたいと考えました。この地点まで行こうと、大きな船に全員で乗っていくと、船が沈没したら全員全滅する。そうではなくて、小さい船が何艘もあって、それぞれが役割を持ってバラバラの場所にいて、集まるときには集まる。森で言えば、一本一本の木。まさに一人ひとりを活かす、自分を活かした働き方や仕事を作っていく取り組みを始めようと決めたんです。
―「福岡移住計画」に行き着いたのもその流れですか?
須賀:そうですね。震災後、「食」や「放射能」など、「安全」に関する様々な情報がありました。子育てするには制約が多すぎたことも、東京を離れようと考えるきっかけになりました。そんな時、たまたま訪れた福岡が移住する条件に合致したんです。
社員とは半年間話し合いを重ねましたが、代表が東京にいない違和感や難しさを感じて約半数の社員が退職していきました。
最初の2年ぐらいは福岡は私一人でしたが、その間にいつの間にか東京の社員一人ひとりが、理念通り自分で仕事ができるようになっていました。それから徐々に移住サポートの部分が本業に近い形になっていって、東京に2名、福岡に9名の現在の体制になりました。
価値観は近いけど、それぞれバックグランドが違う社員が集まることで、個々の能力・得意分野を活かした事業展開が可能となりました。「居場所」「職業」「住まい」の「居職住」を3つの柱とした移住計画。「居場所」としてのシェアオフィスは全国に6拠点となりました。
「男ばかり」だからこそ、それぞれの家庭の状況を共有する。
共通言語は「ファミサポ」。
―UターンやIターンに伴う社員の負担はありませんか?須賀:やっぱり移住ってすごく苦労があります。それぞれの家庭に事情があるなかで、共通認識となっているのは、自分の家族を大事にすること。それによって、お互いがお互いの家族を大事にするようになるんです。子どもが病気した時や奥さんが大変な時、男性社員の共通言語は「ファミサポ」。「今日、ファミサポなんで」と言ったら、「あっ、分かった」と周りが帰宅を了承します。
男性が多い職場なので、それぞれの家庭の状況が共有できるように、遠隔地の社員も含めて、必ず月に1回の合宿をします。事業の現状やこれから何を作っていくかといった仕事の話から、家族や人生、親のことなどをじっくり時間を取って、みんなでしっかり話し、考えます。それがチーム力を上げている要因かと。実際に、離職を考えていたある社員の意識が合宿の中で変わって、逆にパフォーマンスが向上する結果になったこともあります。
合宿のほかにも、スカイプで各地にいる社員全員を繋いで毎朝必ず顔を合わせる、なども行っています。
―最後に、今からイクボスをやろうかという経営者に対して、アドバイスをお願いします。
須賀:最終的に何をその会社で創り出していきたいか、その「在り方」だけしっかり浸透させるべきなのかな、と思うんです。社員や一緒に働く仲間を管理する、という考え方は無駄で、一緒に創り出して行くという風に考えていく。働き方改革。一人ひとりをどう活かしていくかということにフォーカスしていくといいと思います。
―今後の目標は?
須賀:まずは九州を中心に10年くらいかけて、ずっと循環していくような地域を作っていこう、と考えています。魅力ある地域を10地域くらい繋いで新しい村づくりをする、みたいな感覚です。様々なスキルを持った人たちが集まって、その地域の企業とコラボして子どもたちへの教育に還元する。そこで育つ子どもたちが身につけたスキルや知識が、地域伝統工芸や食文化に活かされていけばいいな、と。
―須賀さん、ありがとうございました。
ウェブ業界の黎明期に起業した須賀さん。旧体制の企業経営に疑問を持ちスタートした道は、決して平坦ではありませんでした。しかし大きな変革期を経て、既成概念に捉われない発想で同社の存続をかけて挑戦した福岡での新規事業は、今、大きく躍進する時期を迎えようとしています。
「本当に大事な物」を自分自身の軸とし、企業理念を追求することでさらに磨きをかける須賀さんのイクボスぶりは、「働き方革命」に一石を投じるかもしれません。
<企業情報>
- 企業名:株式会社スマートデザインアソシエーション
- URL: www.s-design.jp
- 福岡移住計画:www.fukuoka-iju.jp
- 所在地:
(福岡オフィス)
819-0168 福岡市西区今宿駅前1-15-18 マリブ今宿シーサイドテラス3F
(東京オフィス)
155-0031 東京都世田谷区北沢3-27-4 立木ビル2F